まもなく3月11日を迎え、テレビでは震災関連のニュースを目にすることが増えてきましたね。東日本大震災以降も日本は熊本地震や西日本豪雨、驚異的な台風、また、それ以前には阪神大震災、、、近年は国内外で尋常ではない規模の災害に見舞われるようになってきました。そして、先月は私が暮らす都内でも久しぶりに10年前を彷彿とさせるような地震が起き「忘れた頃にやってくる」を実感しました。
さて、本日のブログ担当は私、講師のマキが東日本大震災を機にボランティア活動させて頂いていた頃のことをお伝えしたいと思います。
昨年から世界中がコロナ一色に染まり、平凡な生活が一瞬にして崩れるということを経験しましたが、私にとっては今から10年前の2011年3月11日の大地震と大津波、そこに福島原発の事故も加わり大きな衝撃でありました。幸いにも私が住んでいる地域は震度4強に見舞われたものの地震の影響は殆どなかったのですが、連日、繰り返し流れるテレビの映像には胸を締め付けられる思いの日々でした。
また、被害状況と共にあのような嘆かわしい災害に遭い、さらに避難所生活が続いている人々の姿を報道で見るにつけ、当時の私はまさに居ても立ってもいられないとはこのことか、というくらいにとにかく現地へ行きたいという思いが強くなり、震災から3ヶ月後の6月に初めて被災地へ向かいました。
もちろん一人で乗り込んだわけではなく、一緒に行った仲間たちがおります。ヨーガスタジオスワルーパの講師である美音先生こと、美音ちゃんとえりか先生こと、えりかちゃんです(ここではあえて”ちゃん”づけで呼ばせてもらいます) 当時、私たちはヨーガスタジオスワルーパの礎でもあるクリシュナマチャリアのヨーガ指導資格を取るべく、3年に渡るティーチャートレーニングの真っ最中でした。スワルーパ講師陣の多くが講師代表の幸代先生やスタジオジョーティのちゃき先生、あき先生から指導を受けている学びの友(ヨーガでは”サンガ”と言います)でありました。
記憶を辿るに、たしか最初にえりかちゃんに声をかけると「行きますかー!」と一つ返事(才色兼備なえりかちゃん、実は男前でもあります(^_-)) 続いて、美音ちゃんにも声をかけると待ってました~とばかりに「そりゃあ、行くでしょ!」(実際にそう答えたかはいかんせん10年も前のことで定かではありませんが、そのようなニュアンスだったかと)これまた心強い返事をもらったのはたしかでした(美音ちゃんの腹の据わり方は当時から今に至るまで天下一品です。あの声が物語っているでしょう)←声フェチは語る(‘ω’)
実際、被災地へのボランティア活動は誰もが賛成してくれたわけではなく、当然、心配してくれる声も多い中、心強い仲間との最初の被災地訪問が実現しました。
〈岩手県大槌町〉
甚大な被害があった街としておそらく多くの方の記憶に残っているかもしれませんが、山に囲まれた地形のためアクセスの悪い立地ということもあり、救援活動も遅れ、物資も足りていないと言われている場所でした。実は、大槌町訪問は美音ちゃんの友人の一人であり、自らも被災者でありながら各避難所を飛び回り救援活動携わっていたRちゃんの存在によるものでした。彼女のおかげで私たちは全く知りもしない土地である大槌町へと乗り込んで行くことになりました。
しかし、まさに乗り込むといった気合とは裏腹に常に脳裏には「一体、現地へ行って自分(たち)に何が出来るのか」「単なる自己満足ではないのか」いろいろな思いが駆け巡っていたのも事実です。なぜならば、本来は太平洋側で冬でも雪が少ないぱあっと開けた明るいイメージであろう海の街が、想像を絶するほど黒くて重い空気に包まれて、全てが飲み込まれ、残骸だけが残っているような姿を晒している。しかもまだ見つからない人々も(実際には帰らぬ方たちも)多数いらっしゃるような状況があまりに過酷なものだったからに他なりません。
それでも心の内側からやってくる「絶対に行きたい」「ほんの少しでもいいから何か役に立ちたい」という思いは自分でも信じられないくらいに自分を突き動かしたのだと思います。やっとたどり着いた大槌町では(厳密には私は車の後部座席に座っていただけなのですが(^^;)、まずは現地のボランティア窓口であった社協が運営する仮設のボランティアセンターにてボランティア登録、全国の社協から応援に来ている職員の方々や被災しながらも働く現地のスタッフの姿に励まされながら避難所となっている公民館や小学校を普段とは明らかに違うテンションで回りました。
毎回、簡単な自己紹介をしつつ、片っ端からお声をかけさせてもらい、その場でちょっとしたヨーガをしてもらったり、傾聴とまではいかないですが、お話を伺ったり。そして、その後の活動での現地コーディネーターを務めてくれることになったSさんとの出会いがあったり。また、ボラセンでの社協の皆さんとのヨーガタイムなども設けて頂き、その時以来、訪問時にはボラセンには大変お世話になり、親交のあるスタッフも出来ました。
2回目の訪問以降は新たなメンバーが加わったり、ヨーガだけではなくソックモンキーを持参して避難所の子供たちにプレゼントしたり、被災者の方たちが避難所から仮設住宅に移られてからはソックモンキー手作り教室(写真)など、現地の方たちが楽しめそうな催しを考えては訪問を続け、復興していく街と人々の様子を見させて頂きました。
私たちの活動は幸運なことに、現地コーディネーターSさんが復興NPOを立ち上げたことにより、より活動し易い環境が出来、大槌町役場の方たちや仮設住宅の集会所など、毎回の訪問でお会い出来る方たちも増えていきました。始めのうちは素っ気ないのですが、心を開いてくれたまさにその瞬間からそのユニークなキャラを存分に披露してくれて「このキャラをどうにか全国区で活かせないものか?」と真剣に考えるほど、地元に愛されている方たちにもお会いすることが出来ました。私たちのボランティア活動は、いつの間にか大槌町の魅力溢れる方たちとの出会いと再会の楽しみに変わっていきました。また、震災当初は悲嘆に暮れていた人々が、訪れる度に少しずつ本来の姿を取り戻していかれる姿、また、決して癒えることのない悲しみを胸に抱きながらも前を向き、立ち上がっていく姿を垣間見て、胸が熱くなることがありました。
そのような過酷な運命を乗り越えたものだけが得られる強さとたくましさ、そして優しさに溢れた彼らはとても控えめで恥ずかしがり屋であるが故に、なかなか全国的には目立たない存在かもしれません。しかし、彼らの地元を愛する郷土愛とプライドと共にそんな彼らが素敵だなと感じます。
結果的に、ボランティアという名目の元、震災が無ければ一生涯訪れることもなかったかもしれない大槌町とのご縁を頂いた日々、あの日、あの時を共に過ごした仲間や現地の人々との思い出は私にとってのかけがえのない宝物になっています。
〈ブログの最後に〉
今でもあの時の勢いと思い込みの激しい性格による使命感のようなものの正体は「一体何だったのか」と自分でも信じられない気持ちになりますが、その思いを共有してくれた仲間の存在や、家族をはじめとする周りの理解と協力のおかげであり、実は、えりかちゃんの旦那さんM氏なくして継続的な被災地訪問が叶わなかったこともここに記しておきたいと思います。
たくさんの方の支えがあって5年間も通わせてもらった大槌町は、いつの間にか「あー、また帰ってきた」と感じるまでにもなりました(まさか最初の訪問時にはそんなことは思いもよらなかったことです)
私たちは活動にあたり、プロジェクト名をつけていました。
「ココフルプロジェクト」
「心のふるさと」を略して名付けたものですが、
心の中にある故郷とは、いつでも帰れる場所であり、素の自分に戻れる場所、、、、
そして、それは誰の心の中にもきっとある場所のことです。
私たちは思いがけない災害に遭遇することは避けられない運命でもあり、その度にそのどうにもならない力に打ち砕かれてしまいそうにもなりますが、同時にその度ごとに、互いが協力し合い、また強く立ち上がれる存在でもあるのです。それを被災地の人々は教えてくれました。
「人生は決して悪いことだけではない」
東日本大震災10年目を前に強く思うのでした。
コロナ禍を過ごす私たち、日常のありがたさを噛み締めた人も多かったと思います。世界はこうして絶えず変化し続けるからこそ、常に自分の内側にある「心のふるさと」を大切に、これからまた一歩一歩、歩んでいきたいと思います。
この10年目を前にブログにてお伝えすることが出来たことにも感謝します。
全ての御霊に祈りと感謝の気持ちを捧げて。
公式サイト
https://svarupa.tokyo
YOGA STUDIO SVARUPA
ヨーガスタジオ スワルーパ
東京都目黒区平町1-26-18-601
YOGA STUDIO SVARUPA 公式LINE登録はこちらからどうぞ